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from New York
僕のパパはホームレスだった NY路上生活者が家族へ帰るまで
NYの街から、目に見えてホームレスの数が減っている。仕事を失い、家を失う。社会のどん底まで落ちながら、再びはい上がってきた人たち。最後の希望の綱は家族だった。

 


 
      
 その日は特別な日だった。更生団体に入って初めての給料が出たのだ。四年間続いたジェフ・スタッブス(39)のホームレス生活は終わりを告げようとしていた。


 ブルックリンにある宿舎(シェルター)から、妻と子供が住む家に電話をかけた。


 「やあ、パパだよ。元気かい?」「うん。パパの方こそ大丈夫?」


 電話をするたびに八歳の息子は父親を気遣ってそう言う。立場が逆だなと思うと照れ臭い。


 ○仕事クビになって転落

 時計は午後四時を回っていた。夏のニューヨークはまだ明るい。ポケットの中には受け取ったばかりの現金が百五十ドル。地下鉄の中で、スタッブスはクリスマスイブの子供のように浮き立っていた。


 モーリスとマーカスの双子の兄弟は、隣町の妻の家で待っていた。抱きしめてキスをする。


 親子揃って近所の床屋で髪を切ったあと、靴屋へ寄って子供たちがほしがっていたナイキのマイケル・ジョーダン・モデルを買った。一足五十四ドル。青と白のバスケットシューズを履いて、マーカスとモーリスは嬉しそうににっこり笑った。最高に幸せな瞬間だった。


 まだ昼間の熱気が残る、蒸し暑い夕暮れだった。二人がハンバーガーやピザを食べ、公園のブランコや鉄棒で遊ぶのを見守りながら、スタッブスは自分が新しく生まれ変わるのを感じていた。もう俺はホームレスじゃない。長く忘れていた自尊心が蘇ってきた。


 「また電話するからね。ママの言うことを聞くんだよ」


 子供たちを家に送り届けたとき、時計は八時を回っていた。


 「パパも元気でね。また来てね」


 息子たちとの外出は今も続いている。プロレスを見にマジソン・スクエアガーデンに行く。映画館で「ゴジラ」や「ジュラシック・パーク」を見る。そんな平凡な時間が何より幸せだ、と彼は言う。


 スタッブスの転落は、仕事をクビになったことに始まる。


 ホームレスになる前、彼はNYのスポーツ用品店でマネジャーをしていた。


 カリブ海のバハマ諸島からの移民である。二十四歳のとき、バスケットボールの奨学金を得て一人アメリカにやって来た。が、異国で友だちが一人もできない。孤独感から手を出したクラックやコカインへの依存がだんだんひどくなった。遅刻や欠勤が増える。


 店をクビになり、やむなく妻の兄弟と一緒に住むことになった。妻の稼ぎで生活だけはできたが、心が荒んだ。家族を立派に養うのが男だと思っていたのに、自分に価値がないみたいで腹が立った。家の中はささくれ立ってくる。


 ある日、妻の弟と殴り合いの喧嘩になった。警察が来てスタッブスを逮捕。懲役は免れたが、裁判所の命令で妻子の住む家に近寄ることができなくなった。仕事も家もなく、自暴自棄のままドラッグにのめり込む悪循環が始まった。


 昼間は駅や公園で時間をつぶす。夜になると、地下鉄の車両や終夜営業の映画館で眠った。食事はスープ・キッチン(ホームレス用の炊き出し)に行ってしのいだ。


 そんな生活の中でも、子供のことだけは忘れられなかった。ミルクをやったりオムツを替えたりしたことを思い出して、いたたまれなかった。そんな時、街角の公衆電話から電話をする。


 「パパ、家に来ないの?」


 子供たちは自分がホームレスであることを知らない。恥ずかしくて言えない。大丈夫、元気だよ、と言ったが、涙があふれてどうしようもなかった。


 意を決してホームレス更生団体を訪ねたのは九六年だ。そこで麻薬から足を洗った彼はいま、古巣の団体で職員をしている。


 「金を手にした時、ドラッグを買うか子供に使うか考えた。やっぱり子供しかない。そう思った瞬間、僕はようやく人生に責任を取るようになったんです」


 ホームレス時代、自殺しようと思う時が何度かあった。しかし、自分が死ねば子供は父親を失ってしまう。絶望の淵で自分をつなぎ留めたのは家族だったと今思う。


 日本でも不況で失業する人が増えている。会話がそんな話題になったとき、スタッブスはしばらくじっと考えて言った。


 「どんなに長いトンネルにも出口があって光があります。僕の場合は、家族がそうでした」


 ○「パパ、アイスほしいな」
 二十五セントのアイスクリーム。ホームレス生活の間ずっと、アーニー・グロズナー(50)の心に引っかかっていたのはそれだった。


 彼は温かい家庭を知らずに育った。母親は売春婦。父親は刑務所を出たり入ったりしていた。弟はエイズで死んだ。妹はどこにいるのか分からない。自分も八歳の時に里子に出された。が、養父母に虐待され四家庭を転々とした。


 二十歳、恋人を妊娠させ、意に反して結婚したあたりから本格的に人生が狂う。工場勤め、トラック運転手と仕事を転々とするうちに、コカインに手を出した。クラック、覚醒剤、ヘロイン。あとは底なしだった。売人をやったことも、逮捕されて二年半服役したこともある。


 ホームレスになったのは八八年だ。麻薬で酩酊し、妻との暴力沙汰が絶えなくなった。ある日、家のドアが開かない。妻が家の鍵を取り替えてしまったのだ。


 ハーレムの廃ビルで暮らす日々が始まる。ベッドやシャワーはおろかトイレもない。昼は麻薬を売り、夜は椅子で眠りこけた。金は全部ドラッグに消える。スニーカーの上から自分の足が匂うほど、体中が臭かった。
 妻の姉の家に立ち寄ったら、たまたま息子のアーネストが遊びに来ていたことがあった。嬉しくて、二時間ほど、近くの公園を一緒に散歩した。暑い夏の日だった。


 「パパ、アイスほしいな」


 ○寝場所与えても悪循環

 そう言われてはっとした。ドラッグに使い果たして二十五セントの持ち金さえなかったのだ。昔はよく小遣いをあげたのに、と思うと情けなくて仕方がなかった。


 子供のために何とかしなくちゃだめだ。そう思って更生団体の門をくぐったのは九〇年。ドラッグ治療を受けたり心理治療を受けたりの悪戦苦闘を経て、生活が安定したのは、ここ一年ほどだ。


 今、バスの運転手をしている。初めての給料を手にした日、息子を連れて映画を見たあと博物館へ行った。素晴らしい気分だった。


 「ウチの坊主は中学のブラスバンドでラッパを吹いているんだ」


 いま十四歳の息子を傍らにそう話すグロズナーの目は輝いている。去年のクリスマスに金のチェーンをプレゼントした。四十ドルは自分の稼ぎの二日分以上だった。


 家具のほとんどない質素なアパートで、グロズナーは息子とベッドで寝転がって過ごす。今でも離れて住んでいるが、時折息子の方から訪ねてくるのだ。学校のこと、家のことをお喋りする。テレビ映画を一緒に見る。そんな他愛のない時間がなにより有り難い。


 「父親として、失敗をたくさんやった。すまなかったと思う。息子には僕の失敗から学んでほしい」


 父親でいることで、自尊心がやっと戻ってきた。グロズナーの長い長い漂流はようやく終わった。


 かつてのグロズナーやスタッブスのようなNYのホームレスは、四万五千人いると言われている。八〇年代まで、その対策とは宿舎と食事を支給することだった。が、薬物依存、失業を抱えたまま寝場所を与えても、居着いてしまってホームレスからいつまでも脱出できないという悪循環が起きた。


 九〇年代になって効果を上げ始めたのが「働く意欲を刺激する」タイプの更生団体だ。例えば、今回取材した三人がいた「ドー・ファンド」の場合、入所すると宿舎と食事がもらえる代わりに、チームでマンハッタンの街路を掃除しなくてはいけない。が、給料が出る。麻薬・アルコール依存治療や、職業訓練、心理治療も受けることができる。


 ○恋人が復帰のきっかけ
 好景気も追い風になっている。同団体の予算は、八割が連邦・市政府からの補助。残りは民間企業からの寄付で賄っているからだ。「ホームレスをやめる決意をする理由は『家族の元に帰りたい』が一番多い。私たちも知らなかったが、ここに来る人たちの七六%に子供がいたんです」(同団体のジョージ・マクドナルド会長)


 恋人が心の支えになるケースもある。


 あの日、彼女に出会ったのは神様のお導きだったのかもしれない。ジョン・メンデス(29)はそう振り返っている。


 七年間のホームレス生活のあと入った更生団体で、初めての給料が出た日のことだ。九十七ドル五十セントの現金を手に、彼は狼狽していた。十三歳からの十五年間、ドラッグ以外に金を使ったことがない。使い道が思い浮かばなかったのだ。ドラッグを買いに走りたい衝動が暴れ始めた。


 困り果てて相談した仲間は、彼をマンハッタンに遊びに連れ出した。ビリヤードをして、映画を見て。そんな休日は生まれて初めてだった。夜も更けたころ立ち寄ったのは「シャドウ・ナイト・クラブ」というクラブだった。


 ヒップホップが流れるなか、フロアで踊る一人の女性に目が釘付けになった。白いブラウスに黒いタイトスカート。品が良くて知的に見えた。一緒に踊り、会話を交わす。にっこり笑う目に引き込まれた。名前はローレット。南部の大学を卒業し、NY市の職業安定所で働いている。一つ年下だった。


 仕事は何をしているの、と聞かれて、とっさにウソをついた。僕は大工なんだ。アッパー・ウェストサイドに住んでいて、車はレクサスに乗ってる。本当はホームレスだなんて、とても言えなかった。


 だんだん真剣に結婚を考えるようになったある日、メンデスは彼女の家に行って真実を話した。


 ウソついてごめん。僕は本当はホームレスなんだ。


 彼女は絶句した。もう彼女のことは忘れよう。帰り道、そう思った。


 ○20歳で母親は匙投げた

 それから数日して電話があった。


 「ジョン、私、あなたの味方になってあげるわ」


 数カ月後の今年一月、二人は結婚した。十五年続いた破滅の人生がようやく終わった瞬間だった。


 メンデスはプエルトリコの生まれだ。食料品店を経営していた父親はアル中。彼自身も十歳で酒を飲み始め、十三歳の時にはコカインやクラックに染まっていた。十五歳のとき、父が自室で心臓発作で死んだ時には、亡骸のポケットから財布を盗んでまっすぐドラッグを買いに走った。


 二十歳の時、母親は匙を投げた。NYにいた姉の元へ送られた。が、慣れない大都会。薬物依存は悪化する一方だった。姉の衣類や靴を持ち出して売り、麻薬を買う。家を追い出された。友人宅でも同じことを繰り返し、最後は廃ビルの屋上で暮らすようになる。


 麻薬を買うためなら何でもやった。洗車一回十ドル。店先の掃除。イヌの散歩。売人をやって逮捕されたことも二回ある。寒風吹きすさぶNYで、家族に見捨てられたメンデスは絶望の淵に沈んでいた。


 更生団体に入ったあとも、不安は去らなかった。ドラッグ漬けの青春を送った彼には「まともな暮らし」とは何なのか、見当がつかなかった。そんな時に出会ったのがローレットだった。


 「なんだか、別人に生まれ変わったみたいな気分なんです」


 更生団体にいる間に、勉強をやり直して高卒の資格検定に合格した。今の仕事は、輸送会社の事務職である。稼ぎは月千ドルほど。妻と生活費を折半している。食料品を買う。洗濯をする。車にガソリンを入れる。自分の収入があって、家計をやりくりするのが楽しい。彼はそう言う。


 「いま、僕を尊敬して愛してくれる人がたくさんいる。こんなことは生まれて初めてなんです。それに、妻や子供の期待を裏切るわけにはいきませんよね?」


 子供もいるんですか、と筆者が問い直すと、メンデスは両手を広げてにっこりと微笑んだ。


 「実は、昨日分かったんです。妻が妊娠二カ月だって」
 (文中敬称略)

(AERA  1999年04月12日)





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