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いきなり私事で恐縮だが、筆者は汗かきである。炎天下など、表をほんの数分歩いただけで、全身にバケツの水を浴びたような有り様となる。さらに肌が弱いので、首筋の汗疹にも悩まされる。が、炎暑にもかかわらず、スーツ・ネクタイを着こなした御仁が涼しげに歩いているのを見ることも多々ある。同じ温度・湿度条件でも、汗をかく人とかかない人がいるらしい。この不公平は一体どうしたことか。
○太っている人は汗かき
教えを乞うべく、汗の研究三十九年の小川徳雄愛知医大名誉教授(温熱生理学)の門を叩いた。
「多汗症などの病気を除けば、正常な人でも汗の多い人と少ない人はあります」
言うまでもなく、発汗の第一の目的は、体温を適当な温度に保つことだ。体温が高くなりすぎると、脳をはじめ重要な臓器が破壊されてしまうからだ。
雑駁に言って、炎天下を十分間歩いた時に出る汗の量は約百ミリリットル、コップ半分である。これは、体重七十キロの人が体温一度の上昇を抑えるのに必要な量。汗をかかないと、熱が一度出るのと同じ負担が体にかかるわけだ。
小川名誉教授によれば、汗がたくさん出る人には二種類ある。(1)熱が逃げにくい体の構造の人(2)熱をたくさん作る体の人、である。
前者は、ずばり皮下脂肪の厚い人、つまり太った人のことだ。皮下脂肪とはすなわち、断熱材にほかならない。いったん体温が上がってしまうと、熱が内部にこもって外へ出にくい。体は汗をたくさん出して体温を下げようとする。「デブは汗かき」という俗説には医学的根拠があったのだ。
(2)は「基礎代謝」量の多い人のことだ。一日安静にしていても、人間の体はエネルギーを消費する。体の維持に最低限必要なエネルギー量「基礎代謝」には個人差がある。基礎代謝の大きい人は、同じ活動をしても熱をたくさん出す。そこで体温を下げるために汗がたくさん出るのだ。筆者のように痩せているのに汗かき、という人はこちらである可能性が高い(なお、肥満体でも基礎代謝の低い人は汗が少ない)。
○生後2年半で決まる
肥満のように、汗をかく・かかないに関係する後天的な要因はほかにもある。
汗を出す「能動汗腺」の数は、生まれてから二年半でほぼ決まり、一生変わらない。この二年半に暑い気候にいると、汗腺の数は増える。例えば、熱帯住民のフィリピン人の汗腺は、全身に約二百八十万個ある。が、寒帯のロシア人は百九十万個、アイヌ系日本人は百四十万個しかない。ちなみに本土出身の日本人は平均約二百二十八万個である。
だから、生後二年半の間にいつもエアコンのきいた部屋にいると、外の暑い気候に耐える数の汗腺が揃わない。そんな子供が炎天下に出ると、体温が上がりすぎて熱射病や日射病になることがある。
「汗腺、脳の中枢を含め、暑さへの適応能力が育たないからです。許容範囲で、暑さ寒さに子供を晒したほうがいい」(小川名誉教授)
それでは、汗腺が多ければそれだけ汗を多量にかくのかというと、そうとも限らない。熱帯で暮らす人は、逆に汗が少ない。連続的に汗をかいていると脱水状態になってしまうから、体が変化するのだ。これを「長期暑熱順化」という。
熱帯に順化した体は、汗が少ない代わりに、血管が拡張して皮膚温を大きく上げ、汗をすぐ蒸発させてしまう。これで体熱を逃がす。体が熱を作りにくい、つまり代謝が低い体質にも変わる。また、熱帯の人は、もともと手足が長くて体表面積が大きく、熱を逃がしやすい構造なのだそうだ。
では、筆者でも暑い所で慣らせば、汗は減るのだろうか。小川名誉教授の答えはイエスであった。
「バンコクにでも行けば、早い場合は一カ月足らずで順化します。ただし、冷房を使わず、暑さに持続的に晒さなければダメです」
汗かきはイヤだが、これはかなりキツそうだ。
日本の気候の場合、夏になると、胴体に加えて手足から出る汗が増える。涼しくなると、手足からの発汗は減る。これも「順化」の一種である。だが、逆にいうと、いくら暑い夏に体が慣れても、秋になれば元に戻るから、次の夏にはまた大汗をかくということだ。熱帯と違って四季があり、しかも夏は熱帯なみに高温多湿になる日本は、「汗かき」を生みやすい困った環境らしい。
実は高温多湿の日本の夏は、発汗にとっては厄介な環境である。七〇%から八〇%の高い湿度下では、汗が蒸発しにくいため、汗をかいても体温が下がらない。汗は、蒸発して初めて体温を下げる。蒸発せず水滴になって流れ落ちる汗は「かき損」なのだ。蒸発しない汗で皮膚がふやけ、汗の穴が塞がると、条件はもっと悪くなる。
すなわち、汗はかいたらうまく蒸発させることが肝心、という結論に至る。小川名誉教授が勧める対処法はこうだ。
○1ベルトやネクタイを外して風通しをよくする。本当はハワイのムームーのような袖口が大きく開いた服がいい。○2汗はかいたらマメに拭き取る。
○わきがが少ない日本人
ここで汗にまつわるもう一つの悩みが登場する。匂いである。
汗に含まれる塩分(ナトリウムイオン)は、皮膚表面にネバネバした感触を残す。ここに埃がつき細菌が繁殖して垢を分解すると、もともと汗に含まれるアンモニアと一緒になって「汗臭い」匂いの原因になる。特に腋の下は「アポクリン腺」という特殊な汗腺が密集している。アポクリン腺から出る汗には脂肪酸が多量に含まれていて、これが分解すると「腋臭」と呼ばれる匂いとなる。
この腋臭、確かに悩ましい。夏の満員電車など、吊り革を持つ隣人の臭いが鼻先に来て、つらい。
そのせいか、制汗剤は日本だけで二百三十億円の市場を持つ。トップシェアを持つ「エイト・フォー」を売る「ニベア花王」の話では、ユーザーの七割は女性で、九九%が腋の下に使う、という。
この「エイト・フォー」など制汗剤とは、汗を吸着するパウダーだ。もともとはドイツ製だった。日本でも二十五年の歴史を持つ。
興味深いことにドイツ人に聞くと、九割が自分に腋臭があると答えるのだそうだ。朝、シャワーで体を清め、さらに制汗剤を使うことはほとんど常識になっている。が、日本人に聞くと、自分に腋臭があると思っているのは一割しかいない(ニベア花王の話)。
「白人や黒人のほとんどの人に腋臭があるので、多少の匂いでは異常とは考えられない。逆に日本人は腋臭が少ないので、少しの匂いでも嫌われる」(小川名誉教授)
腋臭に悩む方にはつらい社会状況である。特に悩みが深いのは、やはり若者らしく、日本での制汗剤のユーザーは大半が十、二十代に限られるという。
○汗をかくと痩せるのか
「デブは汗かき」と分かったついでに、汗にまつわる俗説の真偽を小川名誉教授に確かめた。
「汗をかくと痩せる」=(誤)。汗をかくような運動プラス摂取カロリー減なら痩せるが、ただ汗をかくだけでは脱水状態になるだけで皮下脂肪は減らない。サウナは痩身術としては効果なし。
「汗をかくと酒気が抜ける」=(誤)。汗にアルコールや二日酔いの原因になるアセトアルデヒドを排泄する機能はない。
「風邪を引いたら汗をかかせて熱を下げるのがいい」=(誤)。熱が下がる時に汗が出るのであって、汗をかかせても熱は下がらない。無理に汗をかかせるのは危険。
「運動中に水を飲むと汗が増えて疲れる」=(誤)。汗の量はほとんど変わらない。脱水状態で汗が止まったところに水を飲むと発汗が再開し、汗が増えたように感じるだけ。水を飲まないまま運動すると脱水状態が進んで危険。
○緊張でどっと噴き出す
さて、ここまでは体温調節のための発汗「温熱性発汗」の話。汗にはもう一種類ある。精神的な緊張で出る「精神性発汗」である。
温熱性発汗は額から出始めて全身に広がり、手のひらと足底からは出ない。ところが精神性発汗は手のひらや足底から始まる。いわゆる「手に汗握る」状態である。
発汗計測機器を製造する「スズケン」の話では、安静状態の人間は、一分間に皮膚一平方センチあたり〇・一から〇・二ミリグラムの水分を出している。ところが、暗算をさせるなどの精神的緊張を与えると、これが二から三ミリグラムに急増する。場所は手のひら、額や腋の下が多い。体温は変化していないのに、精神的緊張で汗腺にスイッチが入ってしまうらしい。「冷や汗」「脂汗」も精神性発汗の一種である。
会議で発表する、授業で当てられるなどの緊張。手術しようと精神を集中したとたん額に汗がどっと噴き出し、ガーゼが欠かせない医師の例もある。多いときは、指先から滴が垂れるくらい大量に出る。「多汗症」と呼ばれる。噴き出す汗を見るうちに焦り、また汗が出るという悪循環を繰り返すというから厄介だ。
○臭いと一度言われると
とはいえ、どれくらいの量の汗が出ると「異常」なのかという数的基準は、まだない。どれくらい臭ければ腋臭を治療すべきなのかという基準がないのも同じだ。
東京・板橋にある池野皮膚科形成科クリニックを訪れる「患者」の五分の四は、二十歳前後の女性だ。正常です、と医師が言っても、手術を望む人がけっこういる。
「かなり臭いのに気にしない人もいれば、少しの汗の匂いでも気にする人もいる。聞くと、昔たった一度、友だちに『臭い』と言われてトラウマになっていたりする。主観的で個人差が大きいんです」
池野宏院長はそう話す。
実は、精神性発汗だけでなく温熱性発汗でも、どれくらい汗をかけば「汗かき」なのかという基準は存在しない。
「額とか首筋とか、自分が鬱陶しいと思っている部分に汗をかく人は、自分が汗かきだと思いこんでいることが多いんです」
私は汗かきで、と訴える筆者を見て、冒頭の小川名誉教授はそう断じた。筆者の場合は汗疹のできる首筋がそれに当たるらしい。やれやれ、今年もまたくよくよ悩んでいるうちに夏が終わってしまう。
(アエラ 1999年09月20日)
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