![]() ドール氏は右手が動かない。いつも指にペンを挟んで握手を求められないようにしている。手助けのため、秘書が付き添っている |
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ボブ・ドール候補はなぜアメリカ人に見放されたのか 盛り上がらなかった96年の大統領選挙。その原因の一つがこのドール候補の退屈さ。が、よく聴くとその主張はむしろまともだ。健全さが人気につながらないアメリカ政界 |
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ボブ・ドール氏が身体障害者であることは、日本ではあまり知られていない。 共和党全国大会が開かれる二日前の八月十日の話だ。私は、彼の故郷カンサス州ラッセルにある氏の家の前にいた。かつてここにあった堀建て小屋のような家で、ドール氏は生まれて育った。地元入りした氏を目当てに、野次馬やマスコミが集まっている。 玄関のドアが開いて、思いがけずドール氏本人が出てきた。見物客の求めに応じて、記念撮影をしたりサインをしたりしている。握手をしようと、一人が右手を差し出した。ドール氏は左手をさし出す。手が合わない。ちょっと気まずい沈黙が流れた。 「あ、ごめんなさい」 「いいさ。私が右手で握手できないのをちゃんと覚えていたのは、ワシントンじゃニクソンだけでね。だから今でも彼が好きだ」 そんなジョークに、みんな笑った。 ドール氏の右腕は麻痺して動かない。第2次世界大戦末期のイタリアで、ドイツ軍との激戦で被弾したのだ。不自然に見せないようにと、氏は開かない指にいつもペンを挟んでいる。 この怪我がなければ、ドール青年は外科医になるはずだった。夢を絶たれ、体にハンディがあっても勤まる法律家(地方検事)の道を選んだのが政界への第一歩だった。一九六一年、下院議員に初当選して以降は、議員生活一直線。六八年に上院に転じ、八四年には上院最高ポスト(上院議長は副大統領が兼務)の院内総務になった。七六年の大統領選挙では当時のフォード大統領の副大統領候補。大統領選挙挑戦は、八○年、八八年に続いて三回目である。 「ボブは政治以外に興味がない」 ワシントンで聞いた評判である。一晩に三つも四つもレセプションを回る。週末は同僚議員の応援に全米を飛び回る。息抜きといえば古いジョン・ウェイン映画を見る事と、ルームランナーで運動するくらい。「政治の虫」なのだ。 苦労人でもある。氏が子供のころ、カンサスは大規模な砂嵐と大恐慌のダブルパンチを受け、農業が壊滅状態になった。父親の食料品店も経営が苦しくなり、ドール一家は家を他人に貸して親子五人地下の物置に住んだ。 苦学して医学部に入るも、戦争で半死半生の重傷。バスケットと陸上競技の名手だったドール青年が、三年に及ぶ寝たきり生活。右手麻痺のせいで食事も着替えも一人ではできない。 「何で俺がこんな目に」 そう運命を呪いながらも手製の機具で体を鍛え、ロースクールを全優で卒業。氏の経歴では必ず強調される美談である。 ワシントンで氏を直接知る人々の評判は悪くない。毎年クリスマスには、高級アパートの隣人たち数十人をキャピトル・ヒルの院内総務執務室に招待、シャンパンをふるまい議場を案内する。アパートのエレベーターで会えば必ずにっこり笑って「ハーイ」と挨拶。親しみやすい気配り上手、など。 ところが、大統領選挙でのドール氏の人気はさっぱりふるわない。支持率の世論調査を見ると、だいたいいつもクリントン大統領に十数%の差を付けられている。共和党内部でさえ、氏を候補者として適当、と答えたのはたった四八%。同じ四八%が「不適当」とする有様だ。「庶民の心を知らないワシントンの特権階級」「老獪」「意地悪」。そんな言葉が投げつけられる。 一体なぜだろう。私は氏の生まれ故郷カンザス州ラッセルへ行った。氏が自伝の第一行目に次のように記しているからだ。 「私を理解したいなら、まずラッセルを理解しなければならない」 着いてみるとラッセルは辺鄙で小さな村だった。一番近い空港からでも三百二十キロ。小麦畑が広がる平原を延々走ってやっと町に入ったと思ったら、通りを四本渡ったとたんに町が終わってしまった。人口四千八百人。殺到したマスコミの宿に家を提供したい、と村人が集まる。今どき珍しい人情に溢れた土地柄である。 「言葉を弄するよりまず実行することの大切さをこの街で学んだ」 こう言うドール氏は、実際スピーチが下手だ。 冒頭と同じ八月十日のことだ。党大会での大統領候補指名を控えたドール氏が、副大統領候補としてジャック・ケンプ氏を公けに発表する演説が、この街であった。ドール氏のあと、ケンプ氏が登壇。上手下手は一目瞭然だった。ドール氏は声に抑揚がなく、感情が伝わってこない。棒読み調で退屈だ。一方、指名の感激や決意を情感込めて語るケンプ氏は、時に聴衆をしんみりさせ、時に熱狂させてドラマチックだ。かつてプロフットボール選手だった逞しい体を揺すり、手を振り挙げ、絵になる。 「これじゃあまるでケンプの選挙だな」 傍らの男性がつぶやいた。 「アメリの心の故郷からやって来た朴訥な男」。共和党大会で、ブッシュ前大統領はドール氏を(褒めるつもりで)こう呼んだ。つまり、裏返すと「口下手な田舎者」ということだ。 演説がへたでも政治家として困らなかったのは、上院院内総務という仕事の特殊性による。 米国の議員は二つのタイプに分かれる。「政策通」と「交渉通」である。ドール氏は後者の代表である。「フィーリング&ディーリング」。氏の政治スタイルはそう表現される。「理屈よりは感情。議論よりは取り引き」。そんな意味だ。公開の場での討論より密室での取り引きが得意。日本で例えれば金丸信型の国会対策の達人、というところだろうか。 ドール氏の議会での仕事で有名なのは、湾岸戦争の時に多国籍軍の開戦にお墨付を与えたことだろう。クェートからの撤退期限を伸ばしてイラクへの経済制裁を続けようとする決議案を抑え、期限通り撤退しない場合は開戦、というブッシュ政権の政策を支持する決議を可決。共和・民主両党からの反対を押し切っての離れ業だった。 しかし、この政治スタイルが大統領候補としても通用するかというと、はなはだ疑問だ。 「ドールは次の選挙のことは考えても、二十一世紀のことは考えない。実務には通じていても、理想や思想を語ることはできない」 議会専門誌「コングレッショナル・クオータリー」の政治担当デスク、ロン・エルビン氏はそう指摘する。 院内総務は調整役である。意見の対立があれば、真ん中へんで妥協を図る。現実的でないと勤まらない。一方、米国人が熱狂する大統領像とは、多少大言壮語でもいいから甘い夢を語ってくれる人物である。新しい理想を唱えたケネディ。「強いアメリカの再生」を語ったレーガン。「若さ」「変化」を唱えたクリントン。 目玉となる政策を打ち出すのも遅れた。「所得税の一律一五%カット」を公表したのが党大会一週間前の八月五日。国民の六五%が政策を「投票の判断基準として重要」としている(六月末の世論調査)のに、いかにも遅い。 クリントン大統領を「指導者たる資質に欠ける」と攻撃し、自分の議会でのキャリアを「リーダーの資質十分」と誇るのがドール氏の作戦だった。が「個人の資質や価値観が判断基準として重要」とするアメリカ人は二五%しかいない(同じ調査)。ベトナム戦争やウォーターゲート事件以後の世代の有権者は、大統領に資質などあまり期待していないのだ。 女性に受けが悪いのも弱点だ。レーガン、ブッシュ政権で運輸省や労働省長官を勤めた才媛エリザベス夫人とは、七五年の再婚だ。前妻のフィリスさんは、若き日のドール氏に付き添ってロースクールに通い、ノートを代筆した糟糠の妻だった。「が、ワシントンでの生活に疲れて七二年にやむなく離婚」。これが長らく公式の説明だったが、八月七日付けのワシントンポスト紙は、ドール氏が一方的に離婚訴訟を起こしフィリスさんと絶縁した事実を暴露した。 「ボブは見せびらかすのが嫌いなんですよ。テレビの前で自分のことをべらべら喋ったりするタイプじゃない」 ラッセルで出会ったドール氏の姉グロリア・ネルソンさん75はそう言っていた。 ドール氏がテレビ向け演出を毛嫌いしていることは有名だ。 今年二月、厳冬のニューハンプシャー州で共和党予備選挙を取材した時の話だ。地元伝統の犬ぞりレースでドール氏がスタートフラッグを振る、というマスコミ向け行事があった。白い雪原にオレンジ色のアノラックを着て立つドール氏。なかなか絵になる。 が、ここから先がまずかった。 鈴なりの報道陣は、氏と犬が入った絵が撮りたいから口々に叫ぶ。 「先生、少し右へ動いて!」「カメラの方を見てください!」 しかしドール氏はまったく耳を貸さない。仏頂面で旗を振るだけで、ジェスチャーもない。 「これじゃ、絵にならん」 カメラマンやテレビクルーから一斉に舌打ちが起きた。 「偽るよりは、不完全でもいいからありのままの自分を。メディア対策者に操られてはならない」 ドール氏は自伝の中でそう述べている。その前段で、氏はクリントン大統領をこう批判するのだ。 「政治コンサルタントと世論調査会社が政策を決めている。口先だけのレトリックをリーダーシップと誤解している」 しかし、テレビが支配する今のアメリカ政治の中では、氏の印象は地味すぎる。ドール氏を「魅力的で親しみやすい」と感じるアメリカ人は一四%しかいない(六月の世論調査)。クリントン大統領は五六%である。 ラッセルで取材したドール氏のかつてのクラスメートたちは、もう耳が遠くなり始めていた。ブッシュ、レーガン、カーター、モンデール。同世代の政治家はほとんど一線を退いてしまった。「最後のGI世代政治家」と呼ばれるドール氏は、七十三歳。日本で言えば大正世代なのだ。 「私のやり方は昔気質と言われるかもしれない。が、時代遅れにならない昔気質もあるはずだ」 テレビ政治を遠ざけ、大統領に崇高なリーダー像を求めるドール氏。皮肉なことに、その理想そのものが氏を時代遅れに見せている。 (AERA96.9.9) |
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