![]() ![]() 2001年11月12日朝日新聞夕刊(左)と、ワッチキャップ姿のジャック・ニコルソン |
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夕ぐれの街を自転車で走ると、手が冷たくて痛い。 こんな季節になると、ぼくはいつも「ワッチキャップ」をかぶります。英語で書くとwatch cap。つまり船乗りが4時間交代でおこなう甲板の見張りのときにかぶる毛糸の帽子です。アメリカの海軍では、寒いときに下士官兵がかぶります。 この帽子を愛用しはじめたのは、ニューヨークに留学していたときでした。緯度が高いので、NYの冬は旭川なみの寒さです。初めての冬を迎えたときびっくりしたのですが、マイナス10度くらいまで平気でさがります。帽子と手袋なしでは外を歩けません。そんなとき、ニューヨーカーが愛用するのがこのワッチキャップです。 なにせ海軍の帽子ですから、大量生産されるようで、放出品がひとつ3ドルで売っています。ぼくも、ハーレムに近い安スーパーで、段ボール箱に山積みになっているのを見つけて即買いました。いかにも貧乏そうなハーレムの住人がうろうろする、うす汚いスーパーでした(もちろんぼくもその貧乏人の一人でしたけれど)。 そう言われてみれば、確かに、貧乏そうなオッサンやオバチャンがこのワッチキャップをかぶって冬のストリートを歩いている姿をよく見ます。ヒップホップ系の連中なんか、夏でもかぶってますよね。 これが、あたたかいんです。頭を毛糸でおおうだけでこんなに違うのか、というほど寒さを感じないのです。 だけど、それだけじゃありません。ぼろぼろの段ボール箱にぎゅう詰めになっているワッチキャップを見つけて、ぼくは狂喜乱舞しました。なぜなら、それがぼくの大好きだった映画の主人公のかぶっていた帽子と同じものだったからです。 ● その映画は「カッコーの巣の上で」といいます。たしか1970年ごろの映画だったでしょうか。精神病院を舞台に、患者の自由を奪おうとする病院管理者とたたかう男の物語でした。 高校生のとき、ぼくはその映画を見ました。京都の祇園の場末にある、再上映ばっかり3本まとめてやっているような安っぽい映画館で、いつも客席に便所の小便の匂いがしていました(まだレンタルビデオが普及する前だったので、そんな映画館があちこちにあって、土曜日になると、ぼくは弁当を母親に作ってもらい、自転車をこいで、一日中そこで映画を見てすごしたのです)。 「カッコーの巣の上で」はぼくが見たかった映画ではありませんでした。目当ては、なにか別のアクションものだったと思います。ついでに見ていくか、というくらいの気持ちで見たのです。が、映画が終わったとき、ぼくは座席から立てないほどうちのめされていました。そのあまりに残酷な結末に、腹に拳を一発喰らったように、席でうめいていました(どんな結末かはみなさん見て確かめてください。ここで書いてしまうのはあまりに惜しい。それくらいの凄まじいラストです)。 その映画で、主演のジャック・ニコルソンがかぶっていたのがワッチキャップです。もうお分かりのように、その帽子をかぶっているということは、彼が貧しいということを意味しています。彼は刑務所入りから逃げるため、精神病のふりをしていたのでした。そして季節は凍えるような冬。舞台は精神病院。 そんななか、箸の上げ下げまで(もちろんアメリカが舞台なのでナイフとフォークですが)指図するような病院管理者と、ニコルソンはことごとく対立し、もめごとを起こします。そして、今までいやいや病院側の管理に従っていた患者たちも、次第に目ざめ、ニコルソンをリーダーに管理者と闘うようになります。 これは、人間の尊厳を守る闘いなんだ。 高校生のぼくは、スクリーンにかぶりつくように一人興奮していました。そう、「自由」という名の、人間の尊厳です。これは、精神医療の患者虐待を告発するのではなく、社会そのもの、人間そのものの残虐さと、それと闘う人間の尊さを訴える映画なんだ、とぼくは思いました。 その「自由」のために闘うニコルソンがかぶっていたのが、兵士のユニフォームであるワッチキャップだったのです。 高校生のぼくはシビレました。心底ホレました。カッコええやんけ、このオッサン! 映画館を出たあと、夜の街をふらふら歩く酔客をよけながら、興奮してペダルを思い切り踏んだことを思い出します。 そのとき17か18歳だったかのぼくが、29歳になってニューヨークに住んだとき、ぼくは本物のワッチキャップと再会したのです。あれはうれしかった。エキサイトしました。おれもニコルソンだ、自由を守るために闘うのじゃ、と一人バカみたいにはしゃいでいました。それ以来、ワッチキャップはぼくの冬のパートナーになったのです。 ● 前置きが長くなりました。ここからが本題です。 この「カッコーの巣の上で」の原作になった小説を1962年に書いたのが、ケン・キージーというアメリカの作家です。 2001年11月11日の夜、38歳のぼくは、偶然このケン・キージーの姿を見ることになります。 それは「20世紀ポップ・ロック大全集」というドキュメンタリーシリーズDVDの第5巻「愛と平和のサイケデリック・ロック」を見ていたときでした。これはイギリスのBBCが制作したポピュラー音楽の歴史を総まくりするドキュメンタリー番組"Dancing
in the Street"をDVD化したものです。いちどロックの歴史をおさらいして勉強し直したい、と思っていたぼくは、銀座のHMVでこのDVDシリーズを見つけ、全8巻をその場で買ったのです。 どこかアメリカのド田舎の簡素なコテージで、キージーは60年代カルフォルニアのサイケデリック・ムーブメントについて語っていました。サイケなTシャツを着て赤いベレー帽をかぶった、おかしなじいさんでした。 サイケデリック運動とは、幻覚剤(などという言い方ではとても説明しきれないのですが、ぜんぶ説明すると1MBくらいになるのでこのように記述しておきます)LSDを飲んで意識を解放しよう、そいでもってラリラリになったところで音楽を聴こう演奏しよう踊ろう・絵を描こう眺めよう・詩やら小説やらを書こう読もう、みんながこれを飲んで意識を解放すれば人々の間に愛と平和がみなぎって世界はラブ・アンド・ピース、ウオー・イズ・オーバー、みたいな、まあそんな話だと思っていただければよろしいです。 キージーは、インタビューにこたえてこう言っていました。 「私には、LSDが神の存在証明のように思えた。神様が天使にこう言っているがきこえるんだな。『おお、アメリカってのはくそマジメで杓子定規な国だな』『じゃ、ちょっと新しいもんを何か送りこんでやりましょうか』ってね」 1966年1月、キージーは、サンフランシスコで「アシッド・テスト」というイベントを3日間繰り広げます。 入場料はたったの1ドル。来た人全員にLSDを配り(当時はお猪口みたいなコップで液体を飲んだようです)、ステージでは薄汚いR&Bバンドが1曲1時間半の即興演奏をエンエンと繰り広げ(グレイトフル・デッドという名前ですが、ご存知ですかね)、おかしなライトショウがピカピカチカチカ、夜中の11時頃にはみんなすっかりラリってしまって、踊り狂ったり会場設備を破壊したりスピーカーによじ登ったり床に寝ころんで天井を眺めて泣き叫んだりと、まあ想像するだにどえらい催しだったようです(しかし、いまの50代の人たちってのは、若いころはすげえ乱痴気やってたんですね。その後いったいどうしちゃったんでしょう)。 そんなキージーが始めたことが、英米のサイケデリック・ロックに発展していきます。さきほどのグレイトフル・デッドのほか、ジェファーソン・エアプレイン、ザ・バーズ、ピンク・フロイドなどなど、ご存知の名前もあることでしょう。その後、ロックとドラッグの影響が、まるでシャム双生児のように不可分のものとなっていったことは誰もが知るところです。ロックだけでなく、絵画、文学、すべてはこのサイケデリックの影響を免れることはできませんでした。その水脈は、いまもなお流れ続けています。 ● そのケン・キージーが亡くなりました。2001年11月10日のことです。ぼくはそれを、11月12日付けの朝日新聞夕刊で知りました。 ぼくは、帰る途中で買った中華弁当を、家のダイニングテーブルでむさぼり食いながら、夕刊を読んでいました。そして、見つけたのです。社会面の片隅、たった一段のベタ記事を。 「ケン・キージー氏(米作家)10日、肝臓がんのため米オレゴン州の病院で死去、66歳」 箸がするりと手から落ちました。あわてて拾おうとして、コップがひっくりがえり、水がテーブルにすっと広がりました。 思い出してください。ぼくがDVDでキージーの姿を見ていたのは、11月11日の夜です。日本とアメリカのオレゴン州の時差はだいたい12時間です。日本のほうが12時間先を行っている、ということです。 つまり、キージーが何時に亡くなったのか正確にはわかりませんが、彼のたましいが天に召されていくちょうどそのころ、ぼくは家のカウチに寝そべりながら、彼が語る姿を眺めていたのです。彼が成し遂げた、世界を変えてしまった一世一代の大仕事をふり返る姿を。 ● いま、ぼくは正直言って頭が混乱しています。一体、何が起きたのでしょうか。何がどうなったのでしょうか。さっぱりわかりません。どうしても説明がつかないのです。 こういう現象を心理学者ユングは「シンクロニシティ」と呼んだそうです。 でも、それだけなのでしょうか。 小渕さんは、ぼくのところに立ち寄ってから天に昇っていかれたようです。キージーも、そうなのでしょうか(それはそれで光栄なことなのですが)。この世界におわかれを告げる前に、トーキョー見物でもしていかれたのでしょうか。 では、なぜみなさんぼくのところに? Why me? 誰か、教えてください。 (2001.11.12) |
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