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裁判官室協議11ヶ月22回を公開

オリコン「請求放棄」は烏賀陽側の要求をのんだ結果だった。オリコンも自分が敗訴することを知っていた。

 

 

 

●めったに公開されない協議を公開

 オリコン裁判でまだ公開していない部分を公開しましょう。東京高裁で11ヶ月22回に及んだ裁判官室協議の様子です。

 オリコン裁判の中で、この11ヶ月のやりとりは不可視のままになっています。高等裁判所での審理の大半が、非公開で行われたからです。オリコンが「請求放棄」という最悪の敗北を期した過程なのに、公開されていないのですから、これはまずい。わかりにくい。

 進行中は裁判所から守秘が命じられていましたので、報告もできなかった。開示しても罰はないのですが、裁判所の心証を害することは避けるように弁護士から言われたので守りました。おかげで、表面上はずっと動きが止まったかのように見えました。

 しかし、裁判が終結したので、やっと高裁の協議内容を報告できる時が来ました。

 08年9月から09年8月まで22回に及んだこの「裁判官室協議」、呼び方をまず統一しておきます。裁判用語としては「弁論準備」とか「進行協議」とか、証拠を出せる・出せないなどで、いろいろ分かれるのですが、一般人にとっては混乱するだけなので、分かりやすくするために便宜上こう呼びます。

 場所は霞が関にある東京高裁16階の高裁民事16部「書記官室」横の会議室です。

「書記官室」とは裁判官の秘書のような役割を果たしている書記官の執務室です。裁判官の執務室である「裁判官室」は奥の方にあるので、一般人からは見えません。

 この裁判官室協議では、烏賀陽側(弁護士3人プラス烏賀陽本人)とオリコン側(弁護士のみ。オリコン社員は一度も出席せず)が別々に裁判官の前に着席します。同席することは、次回のスケジュールをすり合わせる時以外にはありません。

 従って、烏賀陽側は裁判官の口を通じて、オリコン側の言葉や態度を知ることになります。ですから、これから述べる裁判官室協議の記述で「オリコン側は××と言った」と表現しているのは「裁判官は『オリコン側はこう言っている』と言った」ことを指します。あらかじめお断りしておきます。

 22回の協議中ずっと、出席した裁判官は高裁民事16部の黒津英明裁判官でした。テニス青年がそのまま五十歳代になったような、快活で弁舌鮮やかな裁判官でした。

 協議の早い段階で「AERAは報道雑誌だから事実を述べるものだが、サイゾーは娯楽誌ですからね」とおっしゃったので、いろいろな訴訟を抱える中で、オリコン裁判についてちゃんと準備していることが伺えました。もちろん11ヶ月の協議では不満も多々ありましたが、一審の綿引穰裁判長のように、担当する事件の背景に無知なうえに、法廷外協議も開かない(高裁が22回も協議を開いた事実を振り返ると、いかに地裁が雑な審理だったかわかります)手抜き裁判官に手を焼いた後では、高裁の裁判官はよく勉強しているものだと感心したことは事実です。

 裁判官は「判決や審理の見通しについて決して口にしない」建前になっています。黒津裁判官も非常に口が固かった。しかし、22回も会って話をしていると(最長で連続1時間近く話し続けたこともある)、そういった建前が崩れ、だんだん人間的に分かり合う部分が出てきます。こちらも裁判官の考えが読めるようになりますし、裁判官も私の悔しさや怒りを理解してくれるようになります。

 こういうひとつの事件をめぐって裁判官との生々しいやり取りをすることそのものが、記者を何年やっても経験できません。裁判当事者でないと経験できない、貴重極まる体験でした。「ジャーナリストとして、逃してはならないチャンスが来た」。私はそう直感しました。

 この22回の協議の間ずっと私は、どうしても必要な時以外は発言を控えるようにしました。多弁すぎて言いたいことの焦点がぼけた人間より、寡黙であっても論旨がクリアな人間のほうを裁判官はより信用します。私もそれまでの裁判経験で、裁判素人ながら学習していたのです。自分の主張は飯田・日隅・小川弁護士が横で存分に代弁してくださいましたから、ストレスなく信用して任せることができたのも大きかった。

 そして、できるだけ聞き手に徹して、自分の弁護士団と裁判官とのやりとりをノートを克明に付けていきました。この「オリコン裁判」という日本の言論史・裁判史に残る訴訟の記録を後世に残す必要があることが分かっていたからです。これらの記録は、東京高裁段階だけでも大学ノート14冊にも及びます。読み返してやりとりを再現するだけでも膨大な作業でした。

 思い出してください。社会問題化した「オリコン裁判」とは「サイゾー記事に掲載されているコメントは名誉棄損なので五千万円払え」と、オリコンが私を被告に起こした民事訴訟です。この裁判でオリコンが負けた様=敗訴宣言した詳しい過程を、公開します。

 

●和解調印の10日前に敗訴宣言

 オリコンが敗訴宣言したのは、09年8月3日の和解調印日の10日前、7月23日でした。この第20回目の協議で、オリコンは「請求を放棄します」と裁判官に表明したのです。「請求放棄」は「取り下げ」と違って被告(烏賀陽)の同意が必要ありません。つまりオリコンが請求放棄を一方的に宣言した7月23日、オリコン裁判は一方的に終ってしまったのです。烏賀陽側からすれば「不戦勝」です。


 和解調印の10日も前に、オリコンは負けを宣言していた。後に詳しく解説しますので、とりあえずこの事実をよく覚えておいてください。


 私はあっけに取られました。33ヶ月にわたる悪戦苦闘、しかも一審で負けた裁判が、相手の敗訴宣言で一方的に終ってしまったのです。正直言って、長年の緊張と苦痛があまりにあっけない幕切れを迎えたので、さすがにしばらくは放心しました(笑)。

 いまオリコンは後悔しているようです。和解調印後に「請求放棄」(敗訴宣言)の重みに気付いたのでしょうか。敗訴宣言という事実を弁護士から説明されていなかったのでしょうか。

 事実を何とか隠蔽しょうと「8月3日に和解が成立した。烏賀陽が反訴を請求放棄したので、本訴を請求放棄した」と虚偽の報道発表を続けています。和解内容に不満がないなら、虚偽の発表などしないはずです。

 ですが、事実は雄弁です。7月23日の時点でオリコンが起こした裁判は「オリコン敗訴宣言」で終結しているのですから。

 まあ、もともとSLAPP訴訟を起こすような反社会的な企業ですから、このようなウソを天下に向かってつく恥知らずな行為も平気なのでしょう。

 なぜオリコンはこのような無様な自滅に追い込まれたのでしょう。一審で勝訴した原告が、あろうことか二審で自分の訴訟に理由がなかったことを認めるとは、まずありえない結末です。

 最高裁の司法統計によると、請求放棄は年間0.1%しか起きません。まして一審で勝った側が二審で請求放棄することなど、0.1%以下の比率であることは確実です。

 一体なぜ?

 

●謝罪を頑強に拒否して袋小路に 

 オリコンが負けることは「サイゾーに掲載された内容は烏賀陽の発言とは無関係」というサイゾー証言が出た時点で確実になっていました。

 ところが、オリコンは謝罪を頑強に拒否した。メンツにこだわったのかのかもしれません。その結果、高裁の職権和解案がどんどん条件が悪くなっていった。追い詰められたのです。最後にとうとう、高裁はこんな和解案をオリコンに突きつけのです。

「烏賀陽に謝罪しないなら、請求を放棄する」

 振り返ってみましょう。

 それまでオリコン・烏賀陽の言い分を聞くことに力を入れていた東京高裁の黒津裁判官は、09年5月13日の第15回協議で、初めて職権和解案を示しました。そこにはこうありました。


月刊サイゾー関係者を除外し烏賀陽のみを被告として、請求金額が個人の通常の賠償金額を超える金額であったこと、結果として烏賀陽が本件訴訟を精神的経済的苦痛を生じたことについて遺憾の意を表する」

 オリコンは激しく抵抗しました。本社側から謝罪条項には強硬な反対が出たようです。「少しでも自分たちの提訴の非を認める文言はカンベンしてくれ」と言ってきました。

 逃げ回るオリコンを見て、6月8日の第16回協議で高裁は「苦痛を理解する」ではどうか、と案を提示します。高裁も双方が呑める案を作ろうと苦心していたのです。


 6月17日の第17回協議に先立って、烏賀陽はオリコンの提訴で自分が抑うつの症状を発症して病院通いを余儀なくされていること、43歳から3年間の充実した時期を裁判で破壊されて、悔しさで苦しんでいることなど、苦境をつづった「上申書」を提出しました(上申書は裁判所に提出する書面で、オリコン側には届きません)。

 黒津英明裁判官は非常に同情してくれました。ある意味、想像以上の効果でした。6月17日の第17回協議黒津裁判官は、自分が東京から宮崎地裁に転勤し「悔しい思い」をしたのも43歳だった、などと自分の身の上話を50分間話し続けたのです。弁護士も私も呆気にとられてただうなずくばかりでした。裁判官がこれほどまでに同情してくれていることにびっくりしたのです。法廷慣れした弁護士もびっくりしていました。

 そして黒津裁判官は烏賀陽への謝罪を頑として拒否しているオリコンにいらだちをあらわにし始めます。「ここは高等裁判所です。バカな斡旋はいませんから安心していてください」と烏賀陽側にはっきり表明しました。

「この調子なら、勝訴と同じ条件で交渉ができるかもしれない」

 私や弁護団がそんな感触を得たのは、この時だったと思います。この提訴は、烏賀陽に苦痛を与えるための嫌がらせだったことも裁判官は理解していました。一審の審理がお粗末で、判決は「騙されたような気になる」ことも裁判官は発言していました。


 高裁の審理が始まった当初は、判決を出してもらうことを第一に考えていました。が、裁判官と意志疎通ができるなら、利用すればいいと思ったのです。裁判官と綿密な意志疎通をする場所として、協議を利用しない手はない。裁判官を味方に引き込めるなら、利用できるだけ利用しよう。交渉が決裂したら、判決をもらうというオプションがある。そう思って様子を見ていました。

 

●「請求放棄」は烏賀陽側がオリコンに突きつけた要求

 7月6日の第19回進行協議で、オリコンは自分でつくった和解案を持ってきました。が、そこには謝罪の文言は一言もありませんでした。その代わり「サイゾーはオリコンに謝罪する」などとムシのいい文言ばかりが並んでいました。

 私は敵ながら「これはまずい」と同情しました。私ならこんな提案はしません。もう少し高裁の意向に歩み寄るはずです。こんな提案を出せば、高裁がここまで調整してくれていた努力を水の泡にするのは明白です。黒津裁判官は不快に違いない。

 私もだんだん分かってきました。要するにオリコン側は自分たちが劣勢だという事実が理解できないのです。少なくとも、オリコンの弁護士たちは状況を理解しているようでした。しかし、決めるのは彼らではなく、小池恒社長はじめ、法廷に一度も来たことのないオリコン社上層部なのです。

 本社側の当事者が誰も協議に出席しないから、状況がまったく分からず、メンツだけを大事にめくら鉄砲を撃っている。私にはそう思えました。裁判を人(弁護士)任せにしていると、往々にしてこういう弱みができます。


 そこで、烏賀陽側は賭けに出ました。ダメもとで、裁にひとつの提案をしました。

 それがオリコンの「請求放棄」だったのです。

 つまり「謝罪しないなら、自分で敗訴を宣言してください」という要求を出してみた。

 お分かりでしょうか。オリコンが「請求放棄」をしたのは、他でもない烏賀陽側の要求を呑んだからなのです。

 実は、これが私が勝利宣言した理由のひとつです。オリコンはこんな事実は知らないので「裁判所の和解案を受け入れた」と弁解しています。知らぬが仏ですね。イジワルな私は、陰で笑っています(笑)。

 こんな要求まさかオリコンは呑まないだろう。高裁も無理だって言うだろうし、まあダメモトでいいや。

 そんなつもりで提案してみたら、何と高裁は7月23日の第20回協議でこれをオリコンに突きつけたのです。

 これはオリコンにとって崖っぷちに追い詰められたことを意味します。なにしろ恥辱まみれの「烏賀陽に提訴を謝罪する」を蹴飛ばし続けた結果、出てきた高裁案は何とさらに恥辱にまみれた「請求放棄=敗訴宣言せよ」です。

「もう敗訴宣言しかあんたには選択肢はないよ」と高裁が宣言するのです。

 0.1%しか起きない「敗北」を高裁が提案するなんて、こんな和解案は普通ありえません。

 つまりこれは言い換えれば「判決に進んだって、あんたらを負かすからね」という高裁のメッセージなのです。

「どうしても謝罪しないつもりかね。よろしい。ならば、自分で切腹するか、裁判所にクビを切られるか、どっちか選んでちょうだい」と高裁は言っている。

 いずれにせよ「名誉ある撤退」はもうオリコンにはないことがはっきりしたのです。

 謝罪くらいすればよかったのに。そうすれば名誉ある撤退も可能だったかもしれない(オリコンが名誉という価値を知っている企業ならば、という仮定の上の話ですが)。私はそう思います。

 こうして7月23日、オリコンはその場で請求放棄を受諾しました。

●最後は卑屈だったオリコン弁護士


 事態ここに至って、敗訴判決を受けるダメージよりはまだマシだと思ったのでしょうか。それとも「何でもいいから早く終らせろ」という判断だったのでしょうか。どちらにしても恥辱の極みであることは似たり寄ったりです。訴訟を起こした企業の敗北の仕方としては、ちぐはぐな判断だと私は思うのですが。

 もう一度言いますが、正直言って、私は呆気に取られました。

「烏賀陽さんさえOKしてくれたら、今日この場で和解文書にハンコを押して調印します」とまでオリコン側が言うのを聞いて、唖然としました。何という卑屈な言い草でしょう。


 32ヶ月も私を苦しめ続け、高裁での審理でもメンツに固執して謝罪しなかったオリコンが、突然こうなった。

 すでにご承知のとおり、請求放棄は相手(この場合烏賀陽側)の合意を必要としません。「請求放棄を受諾する」と裁判官の前で言ったこの時点で、一方的に訴訟はオリコンの負けで終わったのです。

 思い出してほしいのですが、私はこの時点では何の態度も表明していません。「請求放棄」は一方的な宣言で成立してしまいます。

 もしかしたら、オリコンは「請求放棄」が「敗訴宣言」であることを知らないのではないか。「提訴の取り下げ」と混同しているのではないか。あるいは、裁判官が調子のいいことを言って交渉を円滑に進めようとしているだけではないか。

 私はそこまで疑いました。 

 が、最後にスケジュール調整に現れた笹浪雅義弁護士は、これまで32ヶ月間見せたことのないような、嬉しそうな笑みを満面にたたえいるではありませんか。そして、スケジュール調整が珍しく一発で終った時に「いやあ、意見がこれだけ簡単に一致したのは初めてですね!」とさえない冗談まで飛ばして一同に愛嬌を振りまいている。

 懸案が終った気の緩みでしょうか。何をしても卑屈なのです。

 この男が私をワナにはめるために「問い合わせ」を装った内容証明郵便を送り付けてきてから3年以上、私は人生を破壊され続けているのです。その男が「この条件でOKしてくださいよ」と卑屈にヘラヘラ笑っている。

 比喩ではなく事実として、私は吐き気がしました。

 

●オリコンは何を読み間違えたのか

 オリコンには誤算があったのではないでしょうか。

 こうした「和解調印日より10日前にとっくに敗訴宣言」などという協議の過程は、普通公開されません。和解内容についてすら公表しない「守秘義務」が合意事項に盛られることが多いからです。ですから、報道は「和解が8月3日に成立した」という通り一遍の部面になることが多い。

 しかし、オリコンにとって最大の誤算は、報道記者である私が当事者として協議の現場に立ち合い、その詳細な記録を取り、そしてそのレポートを書いている事実そのものです。

 ニュースを書くことに関しては、私のほうが熟練しています。その報道記者である私がずっと非公開の協議に同席し、ノートを取っていたのです。この事実こそが、オリコン裁判の他の訴訟にはない特徴であることにお気付きでしょうか(ジャーナリストを相手に訴訟を起こすことは『最後は何から何まで公開されるかもしれない』というリスクを含んでいます)。


 私は「和解案に守秘義務が入るなら、和解交渉のテーブルには付かない」と高裁での協議が始める時に裁判官に申し入れておきました。守秘義務など呑めば、報道を仕事とする私にとって自殺同然です。ですから、最初に釘を刺しておいた。

 つまり、この協議の内容は遅かれ早かれ公開されてしまう。協議が進行している間は、裁判所から守秘を言い渡されますが、終った後のことは何も制約がありません。事実を公開すれば、みなさんご覧の通りです。

「なるほど、そういうわけで烏賀陽は勝訴宣言したのですね」「なんだ、オリコンは先に負けていたのか」と事実が語ってしまうのです。

 合意文書を調印してから約3ヶ月経った09年10月31日現在、オリコンの報道発表は、約束に違反したままです。

 2度も訂正を申し入れていますが、開き直って変えません。

 とはいえ、事実を公開すればオリコンの虚偽は明らかなので、誰もが自由に論評し、批判することができます。和解の過程がここまで公開されることを予想していなかったのでしょう。
 
 この事態は予想を超えていたようです。提訴した時は、内容証明郵便だ社長声明のプレスリリースだと、あれほど多弁だったオリコン本社も弁護士たちも、まるで口を閉じたハマグリのように沈黙している。


 なぜか。あえて邪推すれば「事実には反論のしようがないからで」はないでしょうか。言いたくても、無理に事実に反論するとウソになる。公にウソを言うわけにはいかない。事実には何も言えないのです。つらいことですね。

 短期的にはウソやごまかしも通りますが、長期的には事実が勝つのです。

 

●裁判官がオリコンの負けを確約

 さて、話題を戻します。オリコンの敗訴宣言から和解調印まで、なぜ10日の時間が空いたのでしょうか。

 7月23日、オリコンが敗北宣言した時も、33ヶ月の苦痛が終るというのに、私は冷静でした。事態を最後によくよく確認せねばなりません。そうしないと33ヶ月の苦闘が無に帰してしまう。

 私は自分の反訴(オリコンの提訴の違法性を問う訴訟)で敗訴宣言する理由が見つからないので、反訴はそのまま審理を続けてほしいと黒津裁判官に申し入れました。

 それに対する黒津裁判官の説明はこうでした。
「オリコンは『自分の提訴には理由(=合理的根拠)がなかった』と自分で宣言してしまいました。烏賀陽さんがおっしゃっている『オリコンの提訴は不当である』ことも自分で認めてしまったことになってしまいました。ですから、烏賀陽さんがオリコンを訴えた反訴も理由をなくしてしまったことになります」

 私は、何だか騙されているような気がしました。何だか話がうま

すぎるのです。ですから、熟考するために日を改めて返答することにしました。そして弁護団とまた議論をしました。弁護団も、裁判官の言うことは間違っていないという意見でした。しかし、ダメ元でもうひとつ提案をしました。


 09年7月29日の第21回協議
で「烏賀陽の反訴は取り下げでいいでしょう」と黒津裁判官に提案してみました。

 裁判官は「それでは逆に(オリコンが敗訴宣言したので烏賀陽の反訴が理由をなくしたという)論理的な整合性が取れない」という考えでした。

 ここは私の一生が掛かっています。私は黒津英明裁判官に念を押しました。このやりとりは弁護団には任せず、私が直に裁判官と話し合いました(弁護団も同席はしています)。

烏賀陽「オリコンが自分で負けを宣言してしまったので、私の反訴の趣旨をオリコンが自ら認めてしまったという理解でよろしいのですか?」


黒津裁判官「それで結構です」

烏賀陽「オリコンが先に負けを宣言したので、私が『不当提訴』とした訴訟そのものが消えてしまったと理解してもいいですか?」

黒津裁判官「それで結構です」

烏賀陽「時系列上でも、7月23日にオリコンは先に請求放棄しています。つまり先にオリコンが、烏賀陽に仕掛けた訴訟は理由がないことをオリコンが請求放棄で認めた。だから烏賀陽も反訴に理由がなくなった。そういう時系列で世論に説明します。その通り記者会見して発表しますが、よろしいですか?」

黒津裁判官「それで結構ですよ」


 黒津裁判官の答えは非常に断固たる口調で、明快でした。ブレのない答え方でした。裁判所の判断にまったく迷いがないことが伝わってきました。

 それでも私はその場では即答しませんでした。私は非常に疑り深いのです。

 私は弁護団以外の親しい弁護士何人かにセカンド・オピニオンを聞いてみました。

 その誰もが黒津裁判官や弁護団と同じ考えを言いました。

「えっ!オリコン、請求放棄したの!?」
「提訴した側が請求放棄なんて、そんなこと、普通ありえない」
「オリコン、一審勝ったんでしょ? なのに、何でまた?」

 誰もが同じような見解を伝えてきました。

 

●和解調印前にサイゾーの賠償も調印済みだった

 ついでにもうひとつ言っておくと、7月23日の敗訴宣言を受けて、私はもうひとつの重要な交渉に臨みました。これはオリコンも裁判所も知りません。弁護士には話しておきましたが、同席は求めませんでした。

 それはサイゾーとの賠償の調印です。

 時は09年7月30日、場所は新橋の第一ホテルロビーでした。

 夜9時から喫茶ラウンジで揖斐憲編集長と二人で対面しました。話し合いが長引き、喫茶ラウンジは閉店になり、最後は夜11時半、コンシェルジェの机に移動して合意文書に朱を入れ、ハンコを押しました。


 弁護士は立ち合っていません。つまり私一人で、サイゾーとの「示談」をまとめたのです。

 その内容は

(1)サイゾーは烏賀陽に損害賠償金500万円を払う。
(2)揖斐憲氏はその債務を個人で保障する。
(3)サイゾーは烏賀陽への謝罪記事を掲載する。
(4)サイゾーは烏賀陽の発言をねじ曲げて掲載した経過について検証記事を掲載する。

 あれ?と思われる方もおいででしょう。これは裁判所で締結した「和解」の内容とまったく同じであることにお気付きですか。

 つまり烏賀陽にとっては、7月23日のオリコン敗訴宣言、30日のサイゾーの損害賠償調印で、オリコン裁判の烏賀陽関係部分はすべて終了していたのです。

 つまり、私にとって8月3日の和解文書調印は「オリコンの敗訴宣言から10日が経ち、提訴に正当性がないことをオリコン自身が認めたので、烏賀陽の反訴も請求を放棄します」という最終的な意思表示でした。すでに「オリコンの負け」「サイゾーの損害賠償」という取るべきものは取っていた。

 そうやって時系列を確定させたあと、8月3日にハンコを押しました。そうして、オリコンの請求放棄は撤回できない、不可逆な手続きになったのです。いわばファイナライズですね。

 もちろん和解には「サイゾーがオリコンに謝罪する」という部分も入っていましたが、それは烏賀陽には関係のない部分です。

 サイゾーとの賠償調印は、未だにオリコンも高裁も知りません。ですので、オリコンは「8月3日にせーので三者和解に調印したのだ」と言い張っています。知らぬが仏です。実は8月3日の和解調印はセレモニーにすぎなかったのです。

 

●オリコンも自分の敗訴を知っていた

 例え8月3日の和解が決裂しても、私はサイゾーから賠償金をもらえることが確定していた。和解が流れて判決に進んでも、黒津裁判官とのやりとりからしてオリコンの敗訴は確定的だった。だからちっとも困らない。

 判決はやってみないとわからないだろう。そう思われますか?

 そうでもありません。考えてみてください。オリコンが和解を蹴飛ばして判決に進まなかった事実です。和解はあくまで両者の合意であって、裁判所が強制できません。

 判決で勝てるとオリコンが思っていたのなら、和解を拒否していたはずです。頑として和解は蹴飛ばして、判決に進んでいたはずです。

 でも、サイゾーの揖斐編集長本人が来て「オリコンが訴えたうちの雑誌の誌面は、烏賀陽さんとは関係がありません」と裁判官の前で宣言した後です。判決がどうなったかは自明ですね。

 これでは、オリコンも判決に進みたくなかったでしょう。

 敗訴にしろ請求放棄にしろ、オリコンには恥辱しか待っていません。どちらがより傷が軽いか、彼らも考えたことでしょう。

 私なら、判決でごまかしようのない恥辱にまみれるより、請求放棄して「和解しました」と発表して後は適当にごまかします(笑)。一般人は結果しか見ないからです。

 そう思って見ていたら、オリコンが取ったその後の行動は、まさにその通りになりました。わかりやすい人たちですね。

 7月23日と30日で烏賀陽にとってのオリコン裁判は終結していました。この事実はまだ公開されていません。ですから、彼らは今でも子どもにも笑われそうな虚偽の広報発表を続けているのです(もちろん、それを信じて報道するマスメディアなどひとつもありませんが)。

 

 事実を、ここに公開しました。

 事実を知る立場から見ていると、恥辱まみれの姿が痛々しく、気の毒でさえあります。心からお見舞い申しあげます。

 

 (2009.11,16)

 

 




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