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日本にはSLAPP訴訟を防ぐ法的手段がない

民事訴訟を脅迫や恫喝に悪用できる法の抜け穴がある

 

 

 

 前項に続いて、私が33ヶ月間オリコン裁判を経験することで初めて見えてきた「日本の裁判制度の限界」を報告します。


 「オリコン裁判」が「SLAPP訴訟」であることはもう繰り返すまでもないと思います。


 オリコンの提訴の目的は「名誉棄損によって生じた損害の賠償」ではなかった。自分たちに不利な意見が公になることを妨害するた
めだった。

 小池恒オリコン社長がプレスリリースで自らそう宣言しています。訴訟を目的以外に使う「濫訴」を当事者がこうも堂々と宣言してる例は、文献を当たってみてもなかなか見当たりません。世界でも珍しい、堂々たるSLAPPケースといえるでしょう。


 こう書くと、読者のみなさんは疑問を持たれることでしょう。では、かくも堂々とオリコンが「訴訟を悪用した」と宣言しているのに、なぜ烏賀陽はオリコンの提訴の不法性を法廷で追及できなかったのだろうか、と。


 もちろん、やりました。自分のこととして民事裁判を経験すると「これってどう考えても理が通らない」という疑問点がいくつも出てきましたから。

 答えを先に言ってしまえば、それは日本の現在の法律と裁判制度では「不可能」だということがわかりました。死に物狂いで高裁でも主張し、弁護士ともさんざん「打つ手はないのか」と打開策を探したのですが「ここから先は法律を変えない限り無理だ」という「行き止まり」に何度もぶつかった。


 自分の弁護士に「どうしてこんなことが起きるんですか?」と聞いても「これは法律がそうなっています」「裁判所の判断としてそうならざるをえない」「憲法が権利を認めていますから」と声を揃える。セカンドオピニオンを他の弁護士に聞いても、答えは同じ。そんな「行き止まり」を何度か体験するうちに「これは、裁判官や弁護士の属人的な欠陥ではなく法と制度の欠陥なのだ」という確信するようになった。


 33ヶ月裁判を自分のこととして経験し、7人の弁護士と6人の裁判官と直にやりとりをして(助言してくれた法曹人はもっと多い)初めて知ったことなのです。やってみないと分からないものです。傍観者として裁判を取材するのとはまったく違った光景が、そこには開けていました。

 思いつくままに並べてみましょう。

 

1)いかにムチャクチャな内容の訴えでも、提訴を防ぐことはできない。

 これは本当にびっくりしました。オリコンのような訴訟を目的外に使うことを「訴訟権の濫用」または「濫訴」といいます。こう書くとまるで違法行為のようですが、民法にも民事訴訟法にも、濫訴が違法だという条文は一文字もありません。


 武富士裁判のように、提訴そのものを「濫訴」と認めた判例はあります。しかし「濫訴」は判例でしかない。つまり「そういう判断をした裁判官もいます」という程度のことで、ほかの裁判官がそれに従う義務はない(裁判官を拘束するのは最高裁判例だけ)。裁判官がまったく別の判断をすることも「自由心証」という名前で保護されています。

 私は自分の弁護団(一審・二審合わせて7人)と綿密に作戦を打ち合わせたつもりですが、どの弁護士に聞いても判で押したように「提訴そのものを不法行為として損害賠償を請求しても、裁判官が認めることは極めて稀」と同じ結論が返ってきました。これはセカンド・オピニオンを他の弁護士に求めても同じ答えでしたから、確度の高い話として信じるしかないでしょう。

 濫訴を主張して勝った武富士裁判の例があるじゃないか、と思われるでしょう。しかし、弁護士たちに聞くと「あれは原告の武井(武富士)会長が逮捕されるような事態になって転がり出てきた例外中の例外」とのことでした。

 いかに破綻した内容の提訴でも、裁判を起こす権利は保障する。おかしな訴えは裁判所が審理して退ける。それで淘汰されるから、それでいいのだ。これが民事裁判の建前です。

(その前提には憲法が保障する『裁判を受ける権利』があります。最後に詳しく解説します。これがもう時代遅れになって、現実に矛盾どころか逆行していることも後で詳しく述べます)。

 しかし、もうお気付きのように、その破綻した訴えを裁判所が受理して、審理を始めた時点で、訴えられた側(被告)には弁護士費用などの膨大な裁判コストがオンされます。

次に述べるように、SLAPP訴訟は批判者や反対者に裁判コストを負わせて苦しめ、公的な意見表明を妨害するのが目的なのですから、裁判所が受理してしまった時点でSLAPPは目的が達成されてしまいます。それを次に述べましょう。

 

2)弁護士費用、裁判準備の時間など法廷外で発生するコストを裁判所は一切考慮しない。裁判所の判断には一切反映されない。

 よく「訴訟費用は原告の負担とする」という判決文の一節がありますね。あれをまた聞きで知って「弁護士費用も相手が持ってくれるんだってね。よかったね」と勘違いの「祝辞」を述べてくれる人がいます。


 とんでもない。裁判所は、弁護士費用に一切言及しません。弁護士費用という一般市民にとっては最も不慣れかつ最も高額かつ裁判には不可避の出費を、一切考慮しないからです。


 そんな馬鹿な!と思うかもしれませんね。僕も本当にそう思います。なぜそんなことになっているのでしょう。よくわかりません。が、どうやら裁判所制度の建前は現実からかなり乖離しているようです。


「民事訴訟は本人がやることになっている」
「弁護士は本人の代理にすぎない」(ですから法廷では弁護士を『代理人』といいます)
「よって、弁護士を付けるのは原告・被告の勝手」

 それが民事訴訟の建前だから(だそう)です。

 裁判所がいう「訴訟費用」とは「裁判所のショバ代」つまり「施設使用料」のことです。法曹業界言葉では「印紙代」といいます。請求金額に合わせたショバ代を裁判所に納め、それを払った証明として収入印紙を訴状に添えるからです。

 オリコン裁判ですと請求金額が5000万円に対してショバ代は17万3000円でした。オリコンは提訴の段階で裁判所に17万3000円払っています。ちなみに、他の訴訟を取材してみると、請求額2億円の損害賠償訴訟で60万円でした。


 この印紙代のことを裁判所は「訴訟費用」と呼ぶのです。弁護士もこれに倣いますから、素人は勘違いします。注意してください。


(注)これは「法曹村」のムラ言葉のようなものです。「法律用語として正しいから、それでいいのだ」と弁護士は言い張りますが、法律用語は専門用語であり、それを注釈なしに素人に使うのは不親切かつ危険だ。
法曹ムラには一般市民とは違う言語感覚が流れている。それさえ一般市民はわからないのですから。説明不十分なまま判決をもらったあとになって素人である依頼人に「えっ!弁護士費用相手が出してくれるんじゃないの!?」と悲劇が起きます。でも後の祭り。


 一方、訴えを起こされて、弁護士を雇わずに対応できる人はほとんどいないでしょう。誰に返信すればいいのか?オリコンに返事を書くのか?オリコンの代理人なのか?裁判所に返事をするのか?私はその最初の一歩さえわかりませんでした(正解は『裁判所とオリコンの代理人の二者』)。


 いつどこに返事をすればいいのかさえ、狼狽してしまう。もう第一歩でお手上げです。やむを得ず弁護士に相談すれば、一番良心的な価格設定の「法テラス」でも相談だけで30分5000円ちょっとが相場です。しかし30分で済む単純な事案なら弁護士など雇わない。雇えば着手金だけで最低50万円する。こっちのほうがよほど印紙代より出費としてでかい。なのに、こちらは一切考慮されません。

 弁護士費用だけではありません。裁判で犠牲になるもっと大きな裁判コストは「時間」です。

 私のような小規模自営業者にとって、裁判準備のために時間を奪われることは、収入が減ることに直結します。私が提訴から33ヶ月(2007年〜09年)の間に被った収入減被害は850万円にのぼることは前項で述べたとおりです。


 オリコン裁判のように、社会的反響・影響が大きく、なおかつ自分の職業生命がかかっているような裁判になると、一瞬たりともおろそかにはできません。自分が面倒くさがって手を抜いて負けたりすると、日本の言論の自由や民主主義に計り知れないダメージを与えます。また烏賀陽は事実誤認に基づく根拠のない誹謗中傷を長年繰り広げた」とオリコンの社長に名指しでウソのプレスリリースをばらまかれているのですから、オリコンを負かさない限り自分の職業的信用は潰されてしまいます。


 負けた時、弁護士は汚名をかぶってくれません。あくまで「烏賀陽が負けた裁判」と記憶されます。汚名は私に着せられます。

(裁判を起こされた方はこれを肝に銘じてください。弁護士が望む解決と本人が望む解決は違うのが自然です。弁護士は勝っても負けても、裁判が終ればそこから去ります。『××事件で負けた弁護士』という評判は世間には知られません。裁判の恥辱や汚名を背負って生きなければならないのはご本人だけなのです)

 ですから、私の生活は、33ヶ月間、裁判を中心に回らざるを得ませんでした。。裁判所での法廷、協議の日程を裁判所が決めると、それに合わせて弁護団が会議をしたり、意見書を依頼すべくメディア・法律学者に面会に行ったり、証言してくれそうな人に頭を下げに行ったりのスケジュールが続々と入ります。その合間に収入源である仕事を何とか入れるという毎日でした。当然、収入は激減しました。

 ところが、こうした法廷外で発生する「裁判コスト」を、裁判所は一切考慮しません。判決内容に盛り込まれることもありません。「裁判準備による収入減額分を賠償金額に上乗せしなさい」なんて判決は出ません。

 わかりやすい話。提訴されて裁判準備で時間がなくなり、仕事が激減しても、それで失った利益を裁判所は賠償金額に算入しません。ですから、裁判で勝っても、裁判がなければ得られたはずの利益を計算すると、賠償金額は割に合わないのです。


 私も、東京高裁での協議で「オリコンが私の被った経済的損害を賠償してほしい。オリコンもサイゾーも過ちを認めているのに、なぜそれが通らないのか」としつこく黒津英明裁判官に食い下がりました。が、黒津裁判官は「反訴部分にかかる請求はちょっと無理ですね」と間接的に「提訴そのものを違法にすることはできない」とメッセージを送ってきました。


 それでも食い下がると

「烏賀陽さん、病気になれば、入院したり何だかんだでおカネがかかるでしょう。病気になったと考えればいいんですよ」

と意味不明の説明(笑)をしてくれました。オリコンという意志を持った主体が起こす裁判と、誰の意志でもなく(敢えて言うならウイルスとか病原菌の意志ですかね)かかる病気をどう並べて論じることができるのかさっぱり理解不能です。が、裁判官の思考だけは伺い知ることができます。

「法廷外のコストは病気になったと思ってガマンしろ」

そう黒津裁判官は言っているのです。あなたが訴えられたことで法廷外に発生したコストを裁判所は一切配慮しません。そう言っているのです。

 33ヶ月で、850万円の収入減プラス弁護士費用140万円で合計約 1000万円の法廷外コスト。オリコンが私に与えたダメージです。これだけの損害を合法的に与えることができる。しかも、次に述べるように、訴状という紙切れ一枚用意すれば、悪意ある嫌がらせや恐喝・強要行為も「民事訴訟」というピカピカの合法的行為になります。

「資金洗浄」(マネー・ロンダリング)があるなら、私は民事裁判所を「恫喝洗浄の温床」と呼びたい。


3)民事訴訟は「訴状」という紙切れ一枚で起こせる。

 (2)のような重大なダメージを相手に与えることができる民事提訴ですから、厳重なチェックがかかっていると思いきや、実態はまったく逆。言葉は悪いがノーズロ状態、ノーチェックのまま放置されています。

 もうひとつ民事裁判と対になる裁判制度に「刑事裁判」があります。こちらは強盗や殺人など刑法違反事件の裁判で世間では知られています。

 刑事事件は、検察庁という国立官庁が起訴(公益を代表して罪を裁判所に問うこと)しなければ裁判にはなりません。また、捜索令状、逮捕令状などの捜査の過程で裁判所の審査が入ります。

 検事という法曹資格を持った国家公務員(だからといって判断がいつも正しいことにはなりませんが)が訴えを起こすのだから、裁判を起こすだけでも民事よりははるかに慎重で厳格な自己点検をします。法廷では弁護側に反駁されます。裁判官も起訴事実を点検します(そんな建前になっているが、あちこちで問題が起きているのはご勝利のとおり。今回は触れません)。幾重にも幾重にもチェックが入るのです。

 ところが、民事訴訟は、検事も弁護士もいりません。早い話、あなた一人で起こせます。本当です。「訴状」という「私はダレカレに、何を求めます」を書いた紙を持って裁判所へ行けば誰でも起こせる。書式がわからなくても、裁判所が親切丁寧に指導してくれるカウンターが設けられています。請求金額が160万円以下なら簡易裁判所、それ以上なら地方裁判所が一審の窓口です。
 

 つまり民事訴訟の提訴には、刑事事件のようなチェックがどこにも入らないのです。

 オリコン裁判のようなあからさまな反社会的な訴訟ですら、東京地裁が訴状を受けつける段階では、中身のチェックには立ち入らない。そうやって裁判が始まってしまう。いったん裁判を始めてしまえば、相手に上記のような裁判コストを負わせることができます。


 オリコン裁判のように、最後は原告が請求放棄で自爆してしまうようなお粗末な提訴でも、心配はいりません。裁判所が審理を始めて、訴訟の中身がお粗末であることが露呈したら、何食わぬ顔で「提訴の取り下げ」を相手に持ちかければよい。相手は裁判の苦しみから逃れたいから、簡単に合意します。それで「裁判はなかったこと」になりますから、あなたは何も傷つきません。ついでにいくつか相手に譲歩させれば、もうけもの。大成功です。裁判官や相手側の弁護士が愚鈍なら、うまく騙して裁判に勝つ可能性だってあります。

 お分かりでしょうか。民事訴訟は、紙切れ一枚で、相手を攻撃できる非常にお手軽な武器です。民事訴訟でなければ、刑法の恐喝や強要罪にあたるような行為が堂々と行われている。しかもどこをどう洗っても、ピカピカの合法だと日本の法律は言ってくれています。うまくいけば公権力を使って相手の預金口座や給料を差し押さえることさえできます。

(実はこの法の抜け穴が弁護士をノーチェックの権力を濫用できる『疑似権力者』にしているのですが、それは大きな問題なので今回は立ち入りません)

 

4)提訴する側は常に不意打ちで相手を攻撃できる

 外出するとき、玄関から空を仰いで「今日は頭上に隕石が落ちてくるかもしれない」とヘルメットをかぶる人はいません。そういう「限りなくゼロに近い確率のリスクはないものと仮定する」というセキュリティ意識の中に、私たちは日常生活を送っています。そうしないと、限りなく日常生活が不便になって破綻するからです。


 同じように、「明日くらいに訴えられるかもしれない」と用心しながら毎日を送る市民は普通いません。

 07年12月に私がオリコンからの訴状を受け取ったとき、完全に不意打ちでした。

 当たり前ですが、裁判を仕掛ける側は日にちを計算して周到に準備できますが、仕掛けられる側はいつ提訴されるのか予測がつかない。「×月×日に提訴しますよ」と事前に予告する原告はいません。

 いつの世も、戦争を仕掛けるなら、相手が気付かないうちに攻撃をしかける奇襲作戦に勝るものはありません。


 オリコン側代理人の笹浪雅義弁護士が07年6月にサイゾー編集部に内容証明郵便を送り、最後に接触してきてから、半年近くが経過していました。私が自分の意志でオリコンの記事を書いたのは03年2月3日号のAERAが最後です。私はその後オリコンにニュース価値を見いだせませんでした。関心は遠のきます。当時抱えていたカラオケ産業の歴史をたどる書籍や連載記事の取材に忙しく、オリコンのことなど忘れかけていた。

 そこにドカンと提訴が落ちてきたかっこうです。


 サイゾー編集部に訴状が届き、私にサイゾーから連絡があったのは06年12月13日です。同封されていた裁判所からの事務書類には「1月4日までに返事せよ」と書いてありました。


 つくづくオリコンの手口は汚い。一年のうちで最も忙しく、最も平日が少ない時期を狙って提訴時期を設定したのです。起こそうと思えば、1週間早くても遅くても違いはなかったのに、です。嫌がらせとして完璧な仕掛けです。


 数えてみると、休日でない平日は1月4日までに14日しかない。14日のうちに、弁護士を探し、事情を説明し、裁判所に返答しなくてはならない。

 私はパニックしました。名誉棄損に強い弁護士など心当たりはありません。また、なぜサイゾーやインフォバーンが訴えられず、取材源にすぎない私が訴えられていないのか、わからない。こんな内容で審理が始まってしまうのか、まったく状況が理解できない。

 慌てるべきなのか慌てなくてもいいのかすら、わからないのです。

 

5)返事が間に合わないと5000万円の負債

 ここでもうひとつ、民事裁判が「攻撃を仕掛ける側に有利」な仕組みを説明しましょう。ここで私が「ふん。こんな破綻した提訴なんて、あほらしい」と放っておけば、どうなっていたでしょうか。あるいは、年末年始で弁護士が見つからず、期日までに返事ができなかったら、どうなっていたでしょうか。

 大変なことになります。返事をしないと、私はオリコンの言い分をそのまま認めたことになり、オリコンに5000万円の支払い義務が発生するのです(『認諾』といいます)。

 いえ、ウソじゃありません。裁判所が権力でそう命じるのです。オリコンは座って見ていればいい。裁判所が差し押さえ令状を発行するのです。そして裁判所の執行官が私の財産を差し押さえます。そしてオリコンに代わって私の財産を奪っていきます。つまり、オリコンは裁判所を使って、私の財産(預貯金、給与、不動産など)を強制的かつ合法的に奪えるのです。

 そんな馬鹿な!と思われるかもしれません。が、本当です。日本の民事裁判はこんな仕組みになっている。

 どこからどう見ても、攻撃を仕掛ける側、つまり訴訟を仕掛ける側に過剰に有利な構造になっている。

 私が「14日しかない!」とパニックした理由がおわかりいただけるでしょうか。14日のうちに裁判所に「(オリコンの主張に)争う」と返事しなければ、私は5000万円を合法的に奪われていたのです。

(この『争う』という反論も法曹村の言葉です。私は後から学習しました)。

 この場面をご説明すると、なぜ個人にとって「5000万円」であれ「1000万円」であれ、その金額が恫喝と同じ効果を持つのかおわかりいただけるのではないでしょうか。

 「法曹村の住民」である弁護士さんたちは「判決で負けたところで100万円くらいですから、慌てる必要がありませんよ」と悠然とおっしゃいますが、それは弁護士さんがいつでも「争う」という書面をパソコンの書類フォルダに常備していて、送付先の東京地裁書記官室の番号はファクスに登録、日常業務として慣れ親しんでいる「特殊人種」だからです。


 ある日突然裁判所から分厚い書留郵便が届き、何もかもわからない手続きを数週間以内に取らなければ、数千万円の負債が発生する。民事裁判など縁遠い生活を送る一般市民にとって、この恐怖でパニックしない人のほうが不思議です。

 


6)誰を攻撃対象に選ぶかは訴える側の自由

 これには私もたまげました。


 私を取材し記事を書いたサイゾー編集部の小林稔和副編集長も、揖斐憲サイゾー編集長も、出版社の小林弘人インフォバーン社長も、オリコンは訴えから外したことはみなさん既にご存知と思います。オリコンの狙いは、AERA03年2月3日号で「オリコンのヒットチャート独占の時代は終った」と、彼らにとって一番都合の悪いことを書いた烏賀陽一人だったからです。ただ、オリコンにとって残念なことに、AERAの記事はすでに民事時効(3年)が過ぎて提訴できなくなっていた。


 私は、こんな馬鹿げた訴訟を東京地裁が真面目に審理するはずがないと思っていました。なにしろ、取材源→取材・執筆記者→編集者→出版社という4者が揃わないと、名誉棄損による5000万円の損害など発生しようがないからです。

 私がサイゾーという雑誌をつくったわけでもないし(編集責任)、大量に印刷して書店に流通させたわけでもない(出版責任)。サイゾー編集部やインフォバーンがいたからこそ、オリコンの社会的名誉を低下させるような文書が大量にばらまかれたからこそ、5000万円もの莫大な損害が発生するのです。私一人では、5000万円の損害など発生させたくても発生させようがない。

 取材源だけを民事訴訟で攻撃して、自分に不利な公的意見が出るのを妨害するという「言論の自由の侵害」である以前に、オリコンの提訴は法律論として成立しないのです。難しい言葉でいえば「共同不法行為の行為者」4人のうち3人が法廷にいないのですから。


 ところが、東京地裁の綿引穰裁判長は、判決文でこの点に触れて「不法行為の行為者すべてを訴える必要はない」と言い放ったので私は愕然としました。そして私一人に名誉棄損の責任をかぶせたのはご承知の通りです(オリコンが自己敗訴宣言した今になって振り返ると、綿引判決は滑稽というかグロテスクな冗談でしかないのですが)。

 しかし、綿引裁判長の思考がいかにグロテスクであっても、彼一人を笑うことはできません。弁護士にも複数確認したのですが、こうした「複数によって不法行為があった場合、その全員を被告とする必要はない」というのは本当だというのです。


 そんな馬鹿なとまた思うかもしれませんが、民事訴訟とはそんな仕組みで動いているのが現実です。


 その根拠である法律を問うてみると、民法719条だそうです。

 719条第1項は次のように言います。


「数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも、同様とする」

 何のこっちゃよくわからんですね。解説を探すと、こうありました。

「数人が共同して他人に損害を与えたが、数人のうち誰が損害を与えたか不明である場合について説く。数人のうち誰かが損害を与えたことは確実であるという場合であっても、個々の侵害行為と損害の間に因果関係が証明できなければ、不法行為責 任を追及できなくなり、不当な結果を招く。そこで個々の侵害行為と損害との間に事実的因果関係が証明できない場合であって も、数人の誰かが損害を与えたことさえ証明できれば、個々の行為者について因果関係が推定される」(ウィキペディアより)


 なるほど。でも、これもよく考えればおかしい。

 この解釈は、元々はこんなケースを想定しているそうです。

 川の上流にある工場数社が汚染物質を川に流したので、下流の住民が健康被害を受けた。しかし、複数の工場のうちどれがどういう健康被害の原因になったのか、個別に特定できなくてもよい。数人のうち「誰かが」損害を与えたことさえ証明できればよい。

 なるほど。これなら確かに社会弱者が複数から損害を受けたとき、訴えを起こす敷居を下げるという意味では意味がありますね。「訴えを起こす側には、複数の行為者のうち誰がどういう因果関係でつながっているのかを特定する必要はない」と言っているのですから。


 そう思って読み返すと、東京地裁の綿引判決はねじれ切った解釈で、グロテスクとしか言いようがない。

 まず「企業という社会的強者」が「弱者=烏賀陽という個人」を攻撃しているオリコン裁判に、この法解釈を何も考えずに機械的に当てはめている。力関係がまったく逆なのに、です。


 また、オリコンにとって、名誉棄損を起こした当事者は「不明」ではない。サイゾー編集部、インフォバーン社、記事の執筆者と、わかりきっている。オリコンも『オリジナル・コンフィデンス』という雑誌を発行する出版社ですから、知らないはずがない。彼らは「誰が悪いかわからないから、とりあえず烏賀陽だけを訴えた」のではない。AERAの記事から烏賀陽を狙っているから烏賀陽だけ
を訴えたのです。そう社長が自ら宣言している。

 つまり、法の趣旨を理解しないまま「共同不法行為の誰を被告にしてもよい」といういい加減な解釈だけが一人歩きしている。これは危険極まりない。

 裁判官の解釈がこんな幼稚なままでは、いくらでも悪用のやり方がある。今後も、オリコンのような悪用者が出てくることを防げないでしょう。

 

7)民事裁判では企業も個人も平等に扱われる

 こうして企業や宗教団体といった組織が個人を民事訴訟で攻撃したらどうなるでしょうか。当たり前ですが、組織のほうが圧倒的に有利です。

 例えば、オリコンの小池恒社長は私に5000万円の訴訟を起こすことで、何か余分な手間や苦痛、出費が増えたでしょうか。答えはノーです。

 裁判コストが増えたでしょうか。小池社長は一度も法廷に来ていません。オリコンの社員すら現れませんでした。「卓照綜合法律事務所」(おそらく顧問契約をオリコンと結んでいるのでしょう)の3人の弁護士が来ていただけです。

 小池社長は指先一本動かしていません。弁護士を動かすおカネも会社の会計です。小池社長のフトコロは一銭も痛まない。裁判を起こしても、小池社長はじめオリコンの役員も社員も、まったく変わらない平和な日々を送ったことでしょう。


 私はどうでしょう。たった一人オリコンの選択によって被告にされました。自分の意志ではなく、攻撃者の悪意によって、一人孤立させられたのです。そして33ヶ月間生活を破壊されました。弁護士費用は母親の老後に備えて貯金していた定期預金を泣く泣く解約して作りました。

 名誉棄損で訴えられるジャーナリストはたくさんいますが、出版社も編集部も訴えなかったという悪質な例はオリコン裁判ぐらいしか知りません。出版社が一緒に被告にされると、出版社は顧問弁護士を使います。弁護士費用も出すことが多い。編集部内には編集長も参加して訴訟の対策チームのようなものが動き出しますから、まだましです。

 私は、その後ろ盾さえなく、完全に一人で孤立させられたのです。それはひとえに、オリコンが私を孤立させようという悪意を持っていたからに他なりません。そんな悪意が、そのまま個人に破壊的な力で振り下ろされるのです。

 こんな力の差がある者が裁判で原告と被告として対峙すれば、どちらが不利でどちらが有利か、言うのも馬鹿馬鹿しいほど一目瞭然です。

 ところが、裁判所は、こうした力の差をまったく斟酌しません。両者を対等に扱います。

 これも私が東京高等裁判所で黒津英明裁判官と22回も話し合ううちに、確信を持つようになりました。

 私は何度かオリコンが企業組織であり、私は意図的に孤立させられた個人であることを黒津裁判官に訴えました。そして個人で訴訟を戦うことがいかに負担の重いものであるかを語りました。オリコンの提訴が悪意のある嫌がらせであることを主張するためです。しかし黒津裁判官はピント外れな答えしかしませんでした。

「烏賀陽さんにとってはね、生活を破壊されたことも大変なことなのでしょうが、オリコンにすれば社会的な評価を低下されたと思っているわけですから(以下略)向こうは向こうの言い分があるんですよ」

 ここで裁判官の考えが端的に表現されています。企業組織、法人であるオリコンも、孤立した個人である烏賀陽も、対等に扱って何の矛盾もないと信じ込んでいる。

 この「組織も個人も民事裁判という土俵では対等」という仕組みは、社会的弱者が提訴をして強者と対峙するためにはいいシステムとして機能していたのかもしれません。が、オリコン裁判のように強者が弱者を攻撃する手段として悪用されると、まるで逆梃子のように作用して、破壊的な力を社会的弱者に加えてしまいます。

 

8)日本の民事裁判制度と法律ではSLAPPを防ぐことはできない。

 ここまで述べてきただけでも、日本の民事裁判がいかに「強者が弱者を攻撃する手段」として優れているか、お分かりだと思います。

 まして日本には「SLAPP」という法理すら紹介されていない。日本語の文献すらないのです。私は裁判で勝つために必死で探しましたが、SLAPPに詳しい弁護士も学者も見当たりません。毎年アメリカのロースクールに何十人もの日本人弁護士が留学しているのに、彼らは一体何を勉強して帰ってくるのでしょうね。

 SLAPP訴訟の教科書である「SLAPPs; Getting sued for speaking out」(Pring and Canan. 1996, Temple University Press)にはこうはっきり書いてあります。


「提訴しただけで、批判者や反対者に裁判コストを負わせ、疲弊させるという目的は達成される」
「裁判は提訴側の敗訴や、訴訟の取り下げで終ることが多い」
「しかし、相手を疲弊させて沈黙させればそれで提訴の目的は達成
されるので、提訴側は裁判の勝ち負けを重視しない」。

 おわかりでしょうか。上記の記述はまさにオリコン裁判そのものではなりませんか。かつてアメリカやヨーロッパで横行した訴訟の悪用現象がまさにいま、日本の民事裁判で頻発し始めているのです。

 SLAPPのように企業や団体といった社会的強者が民事訴訟を弱者への攻撃に悪用する現象は、日本だけではなくアメリカやヨーロッパでも70〜80年代に発生したのです。そうした民事訴訟の悪用を防ぐために、アメリカですとあちこちの州で1990年代に反SLAPP条項が生まれました。


 例えば、カルフォルニア州民事訴訟法では、提訴する権利は認めつつ、提訴の段階で訴えられた側が「これはSLAPPである」と裁判所に訴える動議を出すことができます。裁判所は提訴が訴えであるかどうかを審理しなくてはなりません。もしSLAPPであると裁判所が認めると、その訴訟はそこで棄却され、被告側に法廷外コストは発生しません。

 ちょっとまとめてみましょう。

オリコン裁判のようなSLAPP訴訟を裁判所は想定していない。

 →自分に不都合な公的な意見表現を妨害するために、力のある誰かが民事裁判を悪用することを、裁判所も法律も想定していない。

 →現在の日本の裁判所と法律ではSLAPP訴訟を「不法行為」に問うことはできない。

 →オリコン裁判のようにあからさまに訴訟の悪用とわかる提訴ですら憲法で保障された「裁判を受ける権利」を理由に止めることは

できない。

 →提訴そのものを不法行為として賠償を求めることもできない。

 →民法なり民事訴訟法なりを改正して「反SLAPP法」を立法しない限り、今後もSLAPP訴訟の被害者が出ることは防止できない。

 

9)日本にも反SLAPP法または条項が必要な時代が来た

 今の日本の民事裁判が「強迫」「強要」という刑法違反行為を合法的にやってしまえる「合法的強迫の温床」になりうることはおわかりいただけたと思います。

 実はこれ、みなさんの素朴な日常経験でもそうではないでしょうか。「訴えるぞ」とか「裁判所で争う」が脅し文句になってしまうことはありませんか? 弁護士が出てきただけで、絶対君主を前にした農民のように震え上がるなんてことはありませんか? 

 こんな「ノーチェックの権力濫用状態」は排除しなくてはなりません。権力の行使には必ずチェックが必要です。でないと、民主主義国、法治主義国として恥ずかしい。


 さしあたっての急務として、憲法21条が保障する「公に自分の意見を表明する権利」(言論・表現の自由)を妨害する手段として民事訴訟を使うことに、歯止めをかけねばなりません。
 一方「提訴する権利」を侵害しない注意も、重要でしょう。私たち市民が民事裁判を起こすこともあるのですから。


 具体的には、カルフォルニア州民事訴訟法が参考になります。

*提訴する権利はそのまま広く保障する。


*一方、提訴された側は、提訴の内容がSLAPPだと思った時には「これはSLAPPである」という動議を裁判所に出せる。

*動議が出たら、裁判所は提訴がSLAPPであるかどうか審理する。その間は提訴そのものの審理は止まる。
*裁判所がSLAPPであることを認めたら、その時点で提訴は棄却

される。被告に裁判コストは発生しない(あるいは最小限に抑えられる)。

*裁判所がSLAPPだと認めなかったら、本来の訴えの審理に入る。

 SLAPPの定義をもう一度引用しておきます。この全てではないにせよ、かなりの部分は裁判所が「この提訴はSLAPPかどうか」を審理するための指標となるでしょう。

1)刑事裁判に比べて裁判化が容易な民事訴訟である。

2)公的問題が論点になっている。

3)訴訟の原告・被告はその公的論争の当事者である。

4)その公的問題について公的発言をした者(主に批判者や反対者)を標的に提訴される。

5)提訴する側は、資金・組織・人材などの資源をより多く持つ比較強者。

6)提訴される側はそれらの資源をより少なくしか持たない比較弱者。

7)提訴によって、金銭的、経済的、肉体的、精神的負担といった裁判コストを被告に負わせ苦痛を与える。

8)こうした提訴による苦痛を与えることで、原告は被告の公的発言を妨害、抑止する。

9)訴えられていない潜在的な公的発言者も、提訴を見て発言をためらうようになる。

10)提訴した時点で批判者・反対者に苦痛を与えるという目的は達成されるので、提訴側は裁判の勝敗を重視しない。

(『SLAPPs: Getting sued for speaking out』George W.Pring and Penelope Canan. Temple Univeristy Press,1996)

 

 最後に、なぜ日本の裁判制度と法律ではSLAPPを防げないのか、歴史的な背景を参考情報として付けておきます。


 
日本の裁判所と法律は、SLAPPのような民事訴訟の悪用を想定していません。憲法で保障された「裁判を受ける権利」を守るためだ。弁護士も裁判官も口を揃えてそう言いました。

 しかし、これは少し考えればすぐにおかしな話だと気付くはずです。戦後の日本国憲法は、戦後民主主義の最高法規として成立しました。その基本理念のひとつは、戦前にあった財産や性別、階級による社会的権利の差別をすべて撤廃することです。

 例えば、戦前の日本では女性に選挙権はありませんでした。本当です。1945年まで、女性は投票も立候補もできませんでした。いまの参議院にあたる貴族院議員は、選挙ではなく、皇族・華族などから官選で選ばれました。任期はなく終身制でした。

 が、戦後民主主義は、こうした差別をすべてブルドーザーのように破壊して、少なくとも制度上は、真っ平らにしてくれました。

 その下に生まれた戦後民事裁判は、財産や性別の差別なく、社会的弱者が社会的強者と対等に利害を主張できる「平等化の場」として生まれたのです。ですから、弁護人を雇わなくても本人でも訴訟は起こせるし、訴状一枚書けば訴訟を起こせるようになっている。敷居が限界までミニマムに下げてあるのです。当時の社会的弱者が強者に対抗する場所として使うなら、民事裁判所は非常によくできた仕組みだったと言えるでしょう。

 そしてこうした「差別を撤廃する」という理念の上に「裁判を受ける権利」があったのです。つまり「裁判を受ける権利」は社会的弱者の権利が侵害されないためにあったはずだ。

 財産や性別、身分が生む社会的な力の差で「泣き寝入り」しなくてもいい。いつでも裁判所に駆け込んできてくれれば裁判所は社会的弱者にも強者と平等の発言件を与える。そうやって社会的弱者を保護し、社会的強者の権利の乱用を防ぐ。そんな目的のために「裁判を受ける権利」が保障されていたはずです。だからこそ、国民から強制的に集めた税金を投入して、全国津々浦々に裁判所が設置されているのです。

 が、そうした設計思想は64年前のものです。「強者と弱者を対等に扱う」という場所が、強者が弱者を攻撃する手段に使われたら、どうなるか。実は、戦後すぐにできた民事裁判は、そんなことまでは想定していない。そのころ、日本はまだ世界最貧国です。戦争の破壊から立ち直るのは1950年代半ば、まだ10年待たねばなりません。高度経済成長もまだ先です。身分や財産による差別がなくなったあと「企業」が社会的強者として再び姿を現すには時間がありました。

 そして、今や日本は当時とはまったく別の社会に変貌しました。財産や身分、男女差による「社会的弱者・強者」という対立軸は、なくなったとはいいませんが、後退しました。いま「企業対個人」あるいは「組織対個人」のような財力・組織力の格差が新たな社会的弱者・強者問題として浮上しています。

 公害問題がそうでした。製造物事故もそうです。どちらも、企業という強者の前に、一個人である被害者の権利を守るのは非常に難しかった。


 SLAPPは、社会的強者が弱者の権利を侵害している例として、かつての公害問題に似ています。そして民事裁判は「悪平等の場」として、強者が弱者を一方的に攻撃する手段として反転してしまいました。

 

 

 (2009.10,9)

 

 




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